しよう、と意識している、心がけている。いつもいつも気にして、焦っている。この状態って、してないんですね、やってない。集中してない。ズレているんです。
周囲に合わせようとしている人が、日本人のほとんどでしょう。出る杭は打たれるとか、仲よくしようとか、「みんな」、なんて言う言葉がやたら出てくる。先日、Twitterで「みんなを生きるな自分を生きよう」なんて出てましたけど、周囲に合わせて、ぶつからないように、もめないように、仲良くしよう。自己主張をするより、空気を読もう。そうやって日々過ごしているんじゃないですかね。
最近一番言いたいことは「動け」ってことですね。自分、動いてますか?頭の中、思考の中、想いだけで片付けようとするな、ってこと。本質的なことばかり言って、済ませようとするな。抽象的なイメージだけで人生を済ませるな、語るな、ってこと。なまじ感性がするどくて、宇宙の仕組み、カラクリが分かってしまうと、社会に合わせよう、社会的な成功、なんてどうでもいい、くだらない(元々そう思ってる人も多いはずで)、なんてなりがち。人間嫌いになったりね。私自身がそうでしたから、そこはとても良く分かるんです。
でも私は「物欲」があり、物好きであり、幼い頃からいろんなことをやってみたいという欲求がありましたので、空想だけで済ませるってことが出来なかった。運動は苦手でしたから、動くとか、行動という言葉に対してずっと疲れる、というイメージを持っていました。労働とか、苦労とか、苦しいとか、そんなイメージですね。苦労なんてしたくないとハッキリ言ってましたし。言葉のイメージで損してるな、誤解されがちだな、と思うのがまさに「行動」。だけど、人間世界の楽しみって人生って、思考と身体両方を動かして、様々な経験をすることそのものなんです。
動くことで得られる感覚を人間って、意識って、宇宙って欲してるわけです。人間社会のシステムやルールだけを真に受けちゃいけません。まして、自分が生まれ育った環境を「絶対」だとか「基本」だと思っちゃいけません。この環境から、得るもの、捨て去るもの、超えていくものがあるということです。
楽しそうにしている、と楽しんでいる、の違いも似ていますが、~しようとしているのと、実際にしていることの違いは「集中している」「夢中になっている」「楽しい、嬉しいと感じている」ってこと。 楽しそうにしている、は思考が入ってるんですね、演じている、に近いでしょうか。楽しもうとしている、も「楽しさ」を思考でカバーしている。思考で作ってる。と言ったら伝わるでしょうか。
本当に楽しんでいる時に「楽しくしよう」なんて思考は生まれません。集中、ゾーン、全部そうですね。集中集中、と言ってる内はまだ。戦闘が激しくなって来たらそんなこと言ってる場合じゃなくなります。身体が勝手に動く。最適な行動をする。最高のパフォーマンスをする。波に乗っている、ゾーン状態。これは最高に気持ちがいい感覚です。無駄な力が入らず、意識は明確なのに、余計な雑念や思考が入る余地がない。
最高にリラックスしている時、それは熟睡、爆睡している時。でもその時は自分も一緒に消えてしまっていますよね。生きる喜びというのは「自分」がどれだけ喜びを感じられるか、幸せや、歓喜を味わえるか、自分の意識があるということ、感じているという自覚があること。これが一番大事なことなんです。
何もしないで、動かず、想像だけ、思考だけで幸せに生きよう、と思っても、どれだけ現実が、感覚が「変化」するでしょう、「動く」でしょう。頭の中だけで、身体に動け、動けと念じても、命令しても、優しく言っても、動かないはず。
動こうとしている自分、動きたい自分を「思考」で止めていませんか。そして「思考」で全てを補おうとしていませんか。楽しそうにしよう、嬉しそうにしよう。~しようとするのをやめて、考える前に、動くのです。見る前に跳べ。動くから、感覚が変わるんです。やるから、楽しくなったり、夢中になったりするんですよ。いつもいつも周囲に合わせて「楽しそう」にしているのは、本当に楽しんでいるとは言えません。
人生とは、練習のステージなんです。遊びと言い換えてもいいでしょう。その中で、スポーツをしたり、ビジネスをしたり、それぞれのルールの中での練習と本番を楽しめばいいのです。練習こそ本番のように、本番は練習のように 身体動かしていきましょう。
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